昨年11月、トルコで開催されたアイアンマンレースで、Ismael Belkhayat氏は、ゴールまであと一歩のところで、興奮した様子で家族にキスをし、歌い踊りながらゴールを目指した。
アイアンマンレースは不思議な競技である。先にゴールしても賞はなく、ゴールした人すべてが勝者として認められる。「アイアンマン」というニックネームを持つBelkhayat氏にとって、アイアンマンレースという競技は、ビジネスを構築することに似ている。根性と気概、そして何より、自分の強みをどう生かすか、戦略的な決断が必要なのだ。
Belkhayat氏はアスリートではない。レースが始まる数カ月前にこのレースのことを知り、参加することを決めただけだ。彼にとって重要なのは、自分が何をしたいのかを知り、それを手に入れるために行動することなのだ。
8年前、Boston Consulting Group (BCG)の戦略コンサルティングの仕事を辞め、ほとんど何も知らなかった彼が、技術系起業家になったのは、このような姿勢からだった。
カサブランカの街角に住む内気な少年は、3つのスタートアップ企業を経て、モロッコで最も尊敬される起業家の一人となっただけでなく、北アフリカの技術エコシステムでも注目される存在となった。
アイアンマンレースに出場したり、スタートアップ企業を設立したりすることは、10年前のBelkhayat氏の頭にはなかっただろう。学校に通い、優秀な成績で卒業し、高収入の仕事に就き、家庭を築くという、従来の人生設計に沿った生活を送るだけの男だった。Belkhayat氏は、自分が今のような異端児になるとは思ってもいなかっただろう。
連続起業家の誕生
「私は27歳の頃、ずっと居眠りをしていたような気がします。パートナーになるにはあと10年は働かなければならないとBCGの先輩達から言われた時、私は眠りから覚めました。」とBelkhayat氏はTechCabalに語った。
Belkhayat氏はモロッコで育ち、初等教育を受けた後、17歳の時に国費留学でパリに渡った。パリの大学予備校を卒業後、モロッコ政府から奨学金を得て、アメリカのコーネル大学に留学した。その後、BCGのパリ事務所に入社し、その後モロッコに赴任して、マグレブ諸国における同社の業務の立ち上げに貢献した。
BCGで4年超勤めた後、彼は先輩から言われた10年という時間に衝撃を受け、技術系起業家に転身し、人生とキャリアに新しい意味を見出した。BCGを辞めた年に、カサブランカをはじめ、モロッコのいくつかの都市でライドヘイリングサービスを提供するスタートアップ企業、VotreChauffeurを設立した。
このスタートアップ企業は、国内ですぐに有名になり、約4年後、Avis Car Rentaに非公開の金額で買収された。Belkhayat氏は、現在も同社の取締役を務めている。
Belkhayat氏の自慢のひとつは、過去の栄光や損失にとらわれず、次の重要なことに素早く集中する能力だ。最初のスタートアップ企業を経営しながら、彼はもう一つのスタートアップ企業、モロッコの不動産取引を促進するマーケットプレイスであるSaroutyを設立した。Saroutyは、モロッコ全土で土地や家の探索、購入、賃貸をサポートしている。
Belkhayat氏は、創業から2年の間で、できるだけ早く成長し、競合他社を圧倒することを信条としている。そのため、彼の最初のビジネスと同様に、Saroutyはすぐに国内有数の不動産プラットフォームとなった。ドバイを拠点とする多国籍のプロップテック・スタートアップ企業であるPropertyFinder Groupと提携し、技術の進展とより多くの都市への進出を図った。PropertyFinderは、事業の将来性から、パートナーシップではなく買収を選択し、Saroutyをモロッコでの事業者として指名した。Belkhayat氏はその後、取締役という立場で行動するために同社を退任した。
2度のイグジットを経て、次は何を?
次のアイデアは、旅行先で思いついた。Belkhayat氏は、彼の妻で、元McKinseyの戦略コンサルタントであるSophia Alj氏の出張に同行することにした。Alj氏は、南アフリカ、ナイジェリア、エジプト、コートジボワールなど、アフリカ各地を回りながら、デジタル技術を活用したFMCG(Fast Moving Consumer Goods)(*1)
ビジネスの展開を支援する予定だった。
この旅の途中で、彼と妻は、どの国でも共通して、家族経営商店が、FMCG商品へのアクセスに苦労していることに気付いた。だが、それ以上に魅力的だったのは、この特殊な問題を大規模に解決するために、まったく新しい技術分野が台頭してきたことだった。
「ナイジェリアのTradeDepot、ケニアのSokowatch、エジプトのMaxABのことは知っていましたが、モロッコでも同じことができるかもしれないと思ったのです。」とBelkhayat氏は言う。
北アフリカに戻った2人は、地元の小規模な小売市場について調べ始めた。Alj氏はFMCGのデジタル化を支援した経験があり、Belkhayat氏は物流とマーケットプレイスを支援した経験があったため、次の事業を始めるために必要である基本的なことを理解するのに時間はかからなかった。
2020年、夫妻はモロッコで小規模小売業者向けのB2B ECプラットフォーム「Chari」を共同設立した。今後は、さらにフランス語圏のアフリカ諸国に進出する予定だ。
Chariと覇権への道
Chariは現在、モロッコとチュニジアに進出しており、今後数年のうちに、セネガル、コートジボワール、トーゴ、モーリタニアといったフランス語圏の国々に展開する予定だ。このスタートアップ企業は、Y Combinatorが主催した2020年Summer batchに参加し、昨年500万ドル以上のシード資金を調達した。この地域が海外からの投資を呼び込むことが非常に困難であるにもかかわらず、である。
昨年、同社は小売業者が繰り返し直面する問題を解決するために、フィンテック製品を発売した。モロッコは現金主義のため、ほとんどの小売業者は、在庫や販売記録を紙とペンで管理しており、Chariも同様に、現金を納品時に支払いを受けるという制約があった。
それは、Chariが現金主義モデルの不安定さを露呈し、バリューチェーンのデジタル化という目的がいつの間にか失われてしまったということを意味する。その解決策は何か?デジタル決済のネットワークを構築することである。それが、このスタートアップ企業が決断したことなのだ。
Chariは昨年3件の買収を行っている。その1つが、4万店以上の店舗が顧客との与信管理を行うための帳簿を作成するスタートアップ企業、Karny.maの買収だ。この買収により、Chariは食料品店がどのように顧客に信用供与を行っているかというデータへのアクセスが可能となった。Belkhayat氏によれば、このデータは、Chariが食料品店に対してBNPL(buy-now-pay-later)サービスをどのように構築することが出来るのか方向づけるものだという。
このスタートアップ企業は木曜日、サウジアラビアのベンチャーキャピタルファンド Khwarizmi Ventures (KV) 、AirAngels (Airbnb alumni Investors) 、AKWA Groupのベンチャーキャピタル部門である Afri Mobility が主導するブリッジラウンドを終了したと発表した。
Belkhayat氏によると、この資金はBNPLサービスのテストに使われ、成功の暁には、Chariはショップオーナーがエンドユーザーに貸付が出来る、現地のクレジット会社を買収する予定だという。
Belkhayat氏によると、Chariは現在、毎月約250万ドルの取引を行っている。同社は15,000以上の加盟店と契約しており、その半数近くが毎日このプラットフォームを利用している。(モロッコには約20万件の食料品店がある)。
前月比20%増、現在5万人以上のユーザーを抱えるChariは、今回1億ドルの資金調達を達成した。
戦略家Belkhayat氏
Belkhayat氏は、今までの起業で得た教訓を踏まえて、Chariのためにこれまでとは異なる運営戦略を編み出し、負債をほぼゼロに切り上げた。倉庫や物流車両を所有する他のEコマース事業者とは異なり、Chariはそれらをレンタルし、トラックオーナーと提携している。
要はこういうことだ。Belkhayat氏によれば、モロッコ全土にある多くの空き倉庫は、1平方メートル単位で安く借りることができるのに、なぜ新たに購入したり、建設したりする必要があるのだろうか?同じように、配達用の車も、トラックの持ち主や運転手が何人も仕事を探しているのに、わざわざ買う必要はないだろうと。
個人のトラックオーナーは、Chariのアプリをダウンロードし、その場所によって、時々刻々と注文を受ける。そして、注文された商品を取りに行き、商店に商品を届ける。アプリはドライバーにシームレスなロードマップを提供し、時間通りに商品を届けることができるのだ。
Chariが保有している唯一の資産は、加盟店の注文と配達するドライバーのマッチングを支援するアプリだけだ。負債となりうる保管品には、万が一破損した場合の保険がかけられている。
Belkhayat氏は、ユーザーにインセンティブを与えることと同様に、逆インセンティブも重要だと考えている。つまり、何かを達成することで報酬を得られるのであれば、逆に条件を満たさない場合は会社が報酬を得るべきであるということだ。
この発想は、VoutreChaffeurから得たもので、ユーザーのフィードバックに応じて料金を支払うというものだ。ドライバーが会社に支払う手数料は、走行後に星4~5の評価を受けると少なくなり、それ以下の評価を受けると多く支払うことになる。Chariでは、ドライバーが時間通りに配達することが出来ればボーナスを支払うが、そうでない場合は、ドライバーは損をすることになるのだ。
一見、問題があるように思えるが、品質保証を確保し、すべてのステークホルダーがWin-Winになるための最善の戦略だとBelkhayat氏は考えている。みんなの幸せは、ドライバーのサービス提供にかかっているのだ。ドライバーはボーナスでインセンティブを得ることと、逆に損をすることを考えることになる。この方式で、同社はこれまでに96%の定時配送を記録している。
モロッコでのEコマース
Eコマースは3つの分野に分けられる。1つ目はChariが事業を展開する企業間取引(B2B)、2つ目は企業対消費者(B2C)、そして最後は10~15分で配達されるクイックコマースだ。
特に食料品の分野でB2Bは、現在巨大な市場である。モロッコにある20万軒の食料品店は、現在1日平均約10万ドル分の商品を発注している。これを踏まえると、食料品の対象市場規模は約73億ドルであると考えられる。これはタバコや電化製品を除いたものであることを踏まえると、B2Bのeコマーススペースがいかに巨大であるかが分かる。
モロッコのB2C分野には、Jumiaという強力なマーケットリーダーがすでに存在しており、約95%のシェアを占めていると言われていた。Belkhayat氏は、「Jumiaが独占しているB2Cの分野に進出する必要はありません。しかし、クイックコマースは我々にとってチャンスかもしれないのです。」と語る。
すでにこの分野では、スペインの迅速配送の新興企業であるGlovoのようなクイックコマースプラットフォーム企業が活躍しており、同社はChariのパートナーでもある。Belkhayat氏によると、ChariはGlovoがモロッコで展開するダークストア(*2)への供給について協力しているということだ。つまり、GlovoはChariから受注を受け、最終顧客に配送しているのである。
これらの動きから見て、ChariはモロッコのEコマースのB2B分野を押さえており、この分野のオペレーティングシステムになりたいと考えていると言っても良いだろう。
Belkhayat氏は、今後数カ月でアフリカの多くの国で事業を展開すると強気だが、展開しない国もある。
「我々は、フランス語圏で活動するつもりであることに加え、ナイジェリアの Alerzo や TradeDepot、ケニアの Sokowatch や MarketForce、モロッコの競合企業 であるWaystocap を買収したエジプトの maxAB など、新興企業に多額の資金提供をしている国では事業を展開する予定はありません」と Belkhayat氏 は冗談交じりに述べている。
この遊び心あふれたコメントは、Belkhayat氏のビジネス哲学をよく表している。王者の一人になれる可能性があるのに、なぜ行動しないのか?臆病に聞こえるかもしれないが、実は勝てる戦いを選ぶということなのだ。さらに野心的なことを言えば、フランス語圏への進出は、覇権を握るための計画なのである。
「彼らはフランス語ができないから、すぐにはフランス語圏に参入しないでしょうし、もし参入するとしても5年後くらい先でしょう。そうこうしているうちに、Chariは入口にバリアを張ります。そうすると彼らは我々と競争するのではなく、買収しようと考えるでしょう。我々にとって良い出口戦略になるかもしれませんね。」と、Belkhayat氏は、またまた冗談交じりに語った。
(*1)商品回転率が高い消費財のこと。素早く新商品が開発され、低価格で販売される商品のこと。(*2)ネットスーパーにおける実店舗とは異なるネット販売専用の物流センター
【Growtheater登録関連企業】
マイクロファイナンス機関向けSaaSと個人商店向けB2Bコマースを行うミャンマーのスタートアップ
