Njoku Emmanuelは学生の頃プログラミングに夢中になり過ぎて学校の勉強がおろそかになり、父親からパソコンを没収されてしまった。それをきっかけにもうプログラミングだけに集中しようと学校を辞める決意をした。その3年後、彼は同年代の中でも最高のブロックチェーンエンジニアの一人となって世界中を旅し、今では自身で起業した暗号決済ゲートウェイスタートアップLazerpayを経営するに至っている。

ジーンズに黒いラウンドネックTシャツというラフなスタイルにふさわしいカジュアルな挨拶から始まったNjokuとの対談は、彼の豪快な笑い声のおかげで和やかに進められた。対談当日、Lazerpayは多忙だったようで、周囲から漏れ聞こえる会話から彼がオフィスからビデオ通話に参加していることがそれとなくわかった。彼の背景には「Lazerpay」のロゴとモチベーションアップさせる名言が映っていた。

「うるさくてごめんよ。」と指で髪を整えながらNjokuは切り出した。「来週にベータ版の公開が迫っていて、今週はみんな大忙しなんだ。」

スムーズなオンライン接続のためにカメラを切り、声だけで対談を進めることになった。

仮想通貨決済ゲートウェイスタートアップLazerpayは、NjokuがAbdulfatai Suleiman、Prosper Ubiとともに昨年10月に設立された。以来、好評を博し、ベータ版の段階で既にアフリカの仮想通貨の普及促進に必要なイノベーションと評価されて一部のエンジニアやブロックチェーン利用者から絶大な支持を得ている。しかし、何よりもLazerpayが注目される理由は、19歳という若さでCEOに就任したNjokuの存在にある。彼はさながら彗星のごとく現れ、めきめきと頭角を現し、あっという間にアフリカで最も注目される若いエンジニアの一人になったという見方をされる。しかし、実はそういうわけでもないのだ。

Njokuのエンジニアとしてのキャリアは、7年前にナイジェリア南東部最大の都市Port Harcourtから始まった。2015年、13歳になったNjokuはある日、兄弟とともにロボットエンジニアの叔母から何気なくプログラミングの話を聞かされた。それをきっかけとして、以来、Njokuはまっしぐらにプログラミングの道を進むことになった。

ビル・ゲイツのようにOSを作りたい、マーク・ザッカーバーグのようにソーシャルメディアのプラットフォームを作りたい、といった壮大な夢を彼は持ち続けた。アフリカのマーク・ザッカーバーグになりたいというNjokuを一笑にふす母親をはじめ、話を聞いてくれる人なら誰にでも自身の夢を語った。そしてNjokuはコンピューター・プログラミングに関するあらゆるコンテンツに目を通し、どんな小さなことにも疑問を抱くようになった。

エンジニアの父と教師の母の間に生まれたNjokuの得意科目は数学だった。学校の代表として数学オリンピックに出場し、負けることもたまにはあったが何個ものメダルを獲得した。他の同級生たちが幾何学、順列、組み合わせなどあらゆる数学の分野をたった1冊の参考書で学ぶ一方、Njokuはその各分野の参考書を持ってすべて網羅した。

「数学の宿題に電卓を使うことをエンジニアだった父親は許してくれなかった。どんな計算も自分の頭で解かなければいけないからね。考えることに頭を使わないのなら、何のために頭があるのかってことだよ。」とNjokuは言った。道理でプログラミングに早くから親しめたのもうなずける。それでこそ、若くして一流レベルの問題解決能力を身につけることが出来たわけだ。

兄弟でゲームにはまり夢中になったことからゲーム開発の勉強を始め、C++言語で制作するようになった。2017年、高校最後の試験では、数学関連の科目でA+の評価を得て論文試験も見事に合格した。

意外なことに、彼の次なる挑戦は大学卒業だという。

大学は時間の無駄だった

子どもが医学博士になることを願うナイジェリアの多くの親たちのように、Njokuの両親もまたその例外ではなかった。兄がすでに医学を学んでいたこともあり、Njokuにも同じ道に進むことを望んでいた。しかし、Njokuは自分の道を進むことを選んだのだ。

2018年、電気工学を学ぶためEnugu州立科学技術大学(ESUT)にNjokuは入学した。この選択は、親の望むキャリアとは違ったが、エンジニアの父親もそれには納得していた。

ドバイで行われたLazerpay初期アイデアセッションのNjoku

同じ年、NjokuはEnuguに拠点を置くゲーム会社「Quiva Games」にインターンとして入社する。工学部で勉強しながらプログラミング技術を身につけられる仕事もあり、ことはうまく運んでいるように見えた。しかし、入学した1年目に何度か受講して気付いたことは、大学で学ぶ工学は自身が予想していたより簡単だということだった。

「大学で教えることすべてが先進的だと思っていたのに、実際は、狭い教室に学生が詰め込まれて社会科学や一般教養の講義を受けていたんだ。なんだ、これ?という感じ。大学で教わる数学は、それまでにやってきた数学のレベルと大差なかったから、時間の無駄としか思えなかったんだ。」と彼は、当時を振り返った。

あと5年も同じ状況に留まるつもりがさらさらなかったNjokuはプログラミングに集中することにした。「大学へは充電したノートPCを持って通い、いつでもプログラミングできるようにしていた。親に内緒で、もらった教科書代をオンラインのコーディング教材に使っちゃってたりもしていたんだ。」

Njokuが授業に出ていないことを知った父親はある日、彼を自宅に呼び出した。それは、彼のノートPC を取り上げるためだった。それからはまじめに講義を受けるようになったというが、課題のためにPCが必要な時は人から借りるしかなったという。

不幸中の幸いだった、新型コロナウイルス

一昨年、新型コロナウイルス感染症が拡大し始めて社会が停滞し、誰もがパニックに陥り不安に感じていた。その一方でNjokuにとっては大学から離れられるチャンスだったと、どこか嬉しそうに当時の気持ちを打ち明けた。そこで早速彼はゲームのアップグレードに着手し、1日12時間のコーディング生活が始まった。大学には戻りたいどころか、一刻も早く卒業してリモートで仕事をすることしか頭になかった。

2020年3月、Port Harcourtに本社を置く、後払い決済サービス企業「Kwivar」にモバイルアプリケーションの開発者として入社した。

初任給は20,000円くらいだったよ。実際に稼げるようになったことで、自分のキャリアについて誰も口を挟めなくなった。自分が兄弟の中で一番出世したのじゃないかな。コロナ禍でリストラする会社も多いというのに、就職なんかできる筈ないと両親は思いこんでいたようだ。給料は医者と比較にならない程少ないけど、2015年から取り組んできたことを両親がやっと認めてくれたという訳だ。

ブロックチェーンへの道

コロナ禍の前から既にNjokuはブロックチェーンについて勉強し始めていた。ブロックチェーンに関するオンライン講座を受講し、2019年にLagosで開催されたハッカソンプロジェクトの決勝に出場するまでになっていた。

2019年Njokuが初めて訪れたLagos。ハッカソンでのNjokuと参加者たち

Kwivarに入社してひと月経った2020年4月、英領ヴァージン諸島に拠点を置くブロックチェーン企業Project Hydroからもエンジニアとしてのオファーがあった。毎月700ドルがHydroと呼ばれる仮想通貨で支払われる契約だった。この時点でもう大学には戻らないのではとNjokuはうすうす感じ始めていた。というのも、彼の身に起こることすべてが、その決意をまるで後押ししているようだったからだ。

そのわずか6カ月後、同じ年の9月、彼はKwivarでの仕事を辞めようと思いたち、生活のためにも次の職を探し始めた。そこで5カ月間インターンとして働いたQuiva Gamesの親会社、Xendの共同創業者Ugochukwu Aronuに連絡を取り、エンジニアを募集していないか尋ねてみた。Njokuはプロジェクト・ハイドロでの実績(分散型ウォレット、分散型アイデンティティのためのスノーフレーク・インフラストラクチャ) を Aronuに話すと、GoogleとBinanceが支援する分散型金融(DeFi)プラットフォーム、Xend Financeで働かないかと誘われた。

その頃コロナの感染拡大も収まりつつあり、大学の講義も徐々に再開していた。Njokuは一度大学に戻ると父親に約束したが、同時に、Aronuからは15万円の給料に加え、住居とMacBookというオファーもらっていた。

Xend Financeでの日々。複雑なスマートコントラクトの導入方法をNjokuに指導したリードブロックチェーンエンジニアのEmeka Nweke氏とNjoku。

Aronuからオファーがあったことを両親に知らせようとPort Harcourtへ出向き、その場で大学を辞めることを伝えた。自分の決意が固いことを両親は悟ったのだろう。わざわざ大学卒業しても、今の稼ぎの半分以下しか給料をもらえないのなら大学へ戻ることが賢い選択と言えるわけがないからね。

両親はこの時初めて、Njokuが大学を中退したいという無謀な主張を受け留めることになった。Xend Financeでは、ブロックチェーンのリードエンジニア不在時に、Njokuがその代役を努めなければならなかったので、ブロックチェーンの知識をさらに深めていくことができた。2020年12月にローンチというかなりきつい時間制限がある中で、彼はプロジェクトをリードしたが、その行程で様々な問題に直面することになった。

「バグ修正、スマートコントラクトやシステムの実装、運用など進行中のプロジェクト全体を担当しなければならなかったからとても大変だったよ。」さらに、実装段階のミスで彼は、会社に約1万ドルの損害を与えてしまい、Aronuからその損害分を給料から差し引くと言われてしまった。その時、月給は8万円まで上がっていたが、それでは到底賄えないので、慌てて海外のエンジニア職に応募した。それなら、彼が抱えた借金を返済するのに十分な給与をもらえるからだった。

だが後になって、そのことは、Aronu氏の悪い冗談だったと判明したが、その時には既に世界最大級のDeFi企業MakerDAOからのオファーを受け入れていた。同社にとってチーム初のナイジェリア人エンジニアだったそうだ。いつものように家に戻り、両親に新たに承諾したオファーのことを伝えると、Njokuの母は落ちこぼれの息子が月に3,000ドル以上も稼げるという事実を到底受け入れることができなかった。しかし、それは単なる始まりに過ぎなかったのだ。

MakerDAOのオファーを皮切りに、Njokuへのオファーが引きも切らず寄せられた。DeFiプロトコルを提供するInstadappからは、1時間90ドルという提案があった。「Instadappは、今の自分の待遇を知らないんだな、と思いそれなら1日20時間働くぞという気になったよ。」

そこで、NjokuはXend Financeを去り、世界のブロックチェーン業界に名を残すという決意を胸にドバイへ渡った。

世界へのパスポートだった、ドバイへの進出

ドバイでは、さらに仕事の機会が増えた。この時、彼は世界の頂点に立ったのだ。オファーを断り、世界を旅する余裕もできてきた。18歳の青年にしては十分な銀行預金があったので、医学部へ通う兄弟の学費は自分が負担すると父親に伝えた。「ナイジェリアの稼ぎで、ブルガリアの大学に通う兄の学費を仕送りする大変さを想像したらわかると思う。だから、父の代わりに自分が払うのは当然だよ。

その後、Njokuはシンガポールに拠点を置くブロックチェーンセキュリティ企業Avartaから週3,000ドルのオファーを承諾した。そしてそこでブロックチェーンのインフラ全体の構築に携わった。

ドバイにて、Njoku氏とLazerpayの共同創業者兼CTOのSuleiman氏

そこで、後にLazerpayの初期投資家の一人となるNestcoinの創業者兼CEO、Yele Bademosi氏と出会うことになった。Njokuが師として仰ぐことになったBademosiはその後、Nestcoinを立ち上げるときに最初に声をかけたエンジニアの1人がNjokuだった。Lazerpayへの構想が固まったのも、ちょうどこの頃のことである。

Njokuはすべてを捨ててLazerpayに賭けることにした。Avartaは月額7,000ドルのフルタイム勤務に加え、5万ドル相当の同社が発行する仮想通貨でのオファーを提示したが、Njokuは首を縦に振らなかった。するとさらにAvartaは、最初のオファー月額の倍以上となる15,000ドルという金額を提示した。しかし、NjokuはもうLazerpayという新たな目標に向かって歩み始めていた。「偉大なエンジニアになる」という目標は過去のものとなり、「偉大な創業者になる」という新たなビジョンを見据えていたからである。

すると、Njokuはそれまで築き上げてきたすべてを没収された。昨年12月にMakerDAOのエンジニアを辞職したことで、今年の2月に権利が確定するはずだった20万ドル以上のMakerトークンは無効となった。Avartaからの30万ドル以上の給与パッケージというオファーを蹴ってまでLazerpayに賭けたのだ。Lazerpayが未来の決済手段となり、Njokuに提示されたどのオファーよりもずっと価値があると信じていたからこそできた行動である。さらに言えば、その時既に資金調達が完了していたこともあり、そのタイミングでNjokuは勝負に出なければならなかった。

彼は幼い頃から自分が何をしたいのかヴィジョンを描きそれに向かって行動し続けてきたのだ。Njokuの存在がロールモデルとなったことで、彼の両親は今ではNjokuの一番下の弟にソフトウェア工学を学ばせたがっている。

Njokuはザッカーバーグではないし、もうなれないかもしれないが、ブロックチェーン業界の中で自身の確固たるポジションを築きつつある。そしてそれは、19歳の彼にとってまだ旅のほんの始まりに過ぎないだろう。